伝説の本サロ「NK流ピンサロ」とは?

9月1日更新
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伝説の本サロ「NK流ピンサロ」とは?

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【NK流ピンサロとは?】全国的に有名となった裏風俗ピンサロ

「NK流」とは、90年代の終わりから2004年頃まで隆盛を極めた、埼玉県西川口のピンサロを発祥とする本番ができる風俗のサービスの名称(隠語)です。「NK流」のサービスの代表的な存在として「NK流ピンサロ」がありますが、他にもヘルスで本番行為が行える「NK流ヘルス」もありました。ですから「NK流」とは、ピンサロ業だけに使われるというわけではなく、業態にかかわらず、「本番行為を行うことができる風俗」に対して使われる言葉なのです。
もちろん「NK流」のNKとは、「西川口」のアルファベットから取っており、別名「西川口流」とも呼ばれることがありました。
「NK流ピンサロ」の人気はすさまじく、ソープランドで名高い吉原をも圧倒する勢いでした。当時、数々の風俗情報雑誌は、「NK流ピンサロ」を次から次へと特集するくらいでした。

しかしながら、2004年に警察による大規模な摘発に遭い、一気にNK流ピンサロ店が姿を消すこととなりました。2020年現在では、栄華を極めたNK流ピンサロ店は全滅したと言われています。

ピンサロ好きの皆様ならば、本番ができる「NK流ピンサロ」を一度は体験したいであろうと思いますが、残念ながら今は存在しません。今回は、現在の風俗事情では到底考えられないサービスであった「NK流」に焦点を当てて解説していきますので、ピンサロユーザーの皆様は知識として「NK流」を理解しつつ想いを馳せることにしましょう。

【NK流ピンサロのシステム】独自に発展してきた裏風俗文化

今のように、格安系風俗がない時代に、安い料金で本番ができるNK流ピンサロはたいへんもてはやされました。

【NK流ピンサロの料金】

NK流ピンサロの料金相場は、30分~45分のプレイ時間で「12,000円前後」です。
ちなみに、本番ができる風俗としてソープランドがありますよね。現在は1万円台でプレイができる格安系ソープランド店が多くありますので、「12,000円前後」というNK流の料金システムはいまいち格安感を持たれない方も多くいるかもしれません。ですが、当時(90年代後半~2000年代前半)のソープランドは、今みたいな格安系ソープランドはほぼなかったため、NK流ピンサロのように1万円前半で本番ができる風俗は非常に重宝されていたのです。

【NK流ピンサロのプレイ内容】

NK流ピンサロのプレイ内容は、通常のピンサロプレイ(キス・ディープキス・手コキ・乳首舐め・胸揉み・フェラなど)があって、最後に本番ができます。

【NK流ピンサロの特徴】

当時のNK流ピンサロの大きな特徴として、表向きはピンサロなのに「シャワー室」を完備していたことです。ピンサロ店は建前上飲食店として届け出ていますから、シャワーや入浴施設は設置できないのです。(一方でソープランドは、風適法によって「浴場業の施設として個室を設け、当該個室において異性の客に接触する役務を提供する営業」として規定されていますから、公衆浴場として入浴施設を設置することが法律で認められています。)なのにNKピンサロ店は堂々とシャワーを設置していたというから驚きです。

【NK流ピンサロの歴史】誕生~隆盛~衰退までの流れ

ここからは、NK流がどのように誕生し、栄華を極め、そして衰退していったか、NK流の歴史を紐解いていきましょう。

 

【NK流ピンサロの誕生】繁華街~ソープ街~NK流ピンサロへ

西川口風俗は、労働者とギャンブル客でにぎわう繁華街に始まり、ソープランド街を経て、長い時間をかけて「NK流風俗」へとたどり着きます。

【西川口風俗街の誕生】繁華街「鉄塔横丁」からの始まり

そもそもなぜ埼玉県川口市で「NK流」という本番ありの風俗システムが誕生したのでしょうか?
まず、川口の風俗街の基礎となったのは、「鉄塔横丁」という繁華街でした。1960年代に、西川口の屋台街をもとに「鉄塔横丁」という繁華街が形成されていったのです。その後、1970年代になると、川口市内だけでなく東京の風俗店までが「鉄塔横丁」に移転してくるようになりました。飲食店や風俗店が西川口の繁華街に増えていった理由として、川口にオートレース場があることが挙げれます。店がオートレースに遊びに来るギャンブル客を狙って、繁華街はますます活気を得ていったというわけです。

【西川口繁華街におけるトルコ風呂店の増加】ソープ街としての西川口

繁華街の「鉄塔横丁」で最初に栄えた性風俗店は、実はピンサロ店ではなく「トルコ風呂」の店でした。トルコ風呂とは、現在のソープランランドの原型であり、東京の銀座が発祥地とされています。つまり、川口の性風俗街は最初にソープランド店によって大きくなっていったというわけです。(その名残もあって、いまだに川口にはソープランド店がいくつも軒を並べています。)

【西川口繁華街における本サロ店の始まり】本サロの台頭

とは言え、当時の川口のソープランドには決定的なデメリットがありました。それは、「ソープランド店(トルコ風呂店)のプレイ料金が高かった」ということです。そのデメリットを解消し新たな顧客を得ようとしたのが、本サロ(本番ができるピンクサロン)であります。西川口の本サロ店は、同エリアのソープランド店(トルコ風呂店)に比べて非常にプレイ料金が安く、結果的に多くのソープ客が本サロ店に流れることになったのです。

【NK流ピンサロの隆盛】西川口がNK流風俗として全国的知名度を得るまで

西川口発祥の「NK流風俗」が全国的に有名になるほど巨大化したのは、他の風俗街における警察による大規模な摘発がきっかけでした。くしくも、風俗店を駆逐して店舗数を減らす「摘発」によって、西川口の裏風俗はさらに勢いを増す結果となったのです。

【西川口の本サロ店の爆発的な増加】ソープ店を駆逐する本サロ店

当時、工場労働者やギャンブル客が多かった西川口では、またたく間に安い料金で本番ができる「本サロ」がその地域における主流の性風俗店となっていきました。西川口の本サロ店は、その後店舗数を順調に増加させていきました。この当時の違法風俗店とは、なにもピンサロに限った話ではなく、ヘルスなどあらゆる性風俗店が本番OKのサービスを提供していました。しかしながらまだこの時は、「NK流」という言葉が全国的に有名はなっておらず、あくまでも「西川口には本番ができる風俗店が多い」という、あくまでもローカルな話に収まっていました。

【「NK流」の全国的知名度獲得】赤羽裏風俗が西川口へ大移動

1990年代の末から2000年代始めにかけて、西川口の(本番ありの)NK流違法店が立ち並ぶ風俗街がさらに大きく発展することが起こりました。それは、お隣の東京都北区赤羽の大規模な違法風俗店の摘発です。実は赤羽にも本サロ店が多数あったのです。(まれに、それらの赤羽の違法風俗店をまとめて「AK流」と呼ぶことがあります。)結果的に、警察の摘発に遭って行き場を無くした赤羽の本サロ店や女の子たちは、隣の西川口に流れることになります。これをきっかけに、さらに西川口の風俗店は増えて、西川口風俗の最盛期を迎えることになります。最盛期には、200~300店舗もの「NK流」違法風俗店が乱立し、風俗業種はピンサロだけにとどまらず、店舗型ヘルス(ファッションヘルス)にまで「NK流」(本番行為OK)の波が及ぶことになります。

つまり、2000年前後における西川口では、ピンサロでもヘルスでも、多くの風俗店で本番ができたわけです。(すごい!)風俗愛好者からすれば、あらゆる風俗店で本番ができる西川口エリアは、夢の国に近いわけです。このように、西川口は裏風俗エリアとしての最盛期を迎えて、本番ができるという「NK流」という言葉が全国的に有名となったのです。

【NK流ピンサロの衰退】風俗浄化作戦による大打撃

違法風俗である「NK流」は、健全な街作りを進めるには非常にやっかいな存在であることは間違いありませんでした。そして、栄華を極めた「NK流風俗」は、全国的な風俗浄化作戦のあおりを受け、時代の流れに飲み込まれていくことになります。

【風俗浄化作戦という時代の流れ】200店舗以上もの違法風俗店の消滅

みなさまも知ってのことだと思いますが、2004年に石原都知事によって行われた「歌舞伎町浄化作戦」によって、新宿にあった多くの風俗店が姿を消しました。ついで暴力団の勢力が弱まるなど、街の健全化が進みました。つまり、(意図しなくとも)風俗店が多数あるエリアは、どうしても街の治安が悪くなりやすいわけです。なので、風俗街は時代の節々で健全化というメスが入りやすいわけです。
この2004年の「歌舞伎町浄化作戦」のあおりを受けて、西川口の裏風俗店にも一斉に警察の摘発が入ることになったのです。特に、NK流風俗店は、本番行為も客引き行為も当たり前でしたから、自治体に目が付けられないわけがありません。この2004年の大規模な摘発(警察は200店舗以上の違法風俗店を取り締まった)によって、結果的に西川口の多くの風俗店が姿を消すことになりました。

【西川口風俗産業の巨大化】大規模な有名風俗街としての宿命

特に、西川口のNK流風俗は、時に吉原のソープ街を凌駕するほどの勢いがあったため、自治体や警察から目を付けられやすい存在でした。それほどまで西川口風俗は巨大化していたわけです。「歌舞伎町浄化作戦」によって歌舞伎町の風俗が一掃されるならば、当然、裏風俗店が密集する西川口の風俗を放っておくことはできません。
また、(前述しましたが)もともと西川口の風俗は、北区赤羽の風俗店に対する警察の一斉摘発によって規模を大きくした経緯があります。つまり、どこかの地域の風俗街が警察の摘発によって風俗関係者が行き場を失えば、彼らはまた他の風俗エリアに身を移して風俗営業をするだけの話なのです。ある風俗エリアが壊滅したとしても、他の風俗エリアがその分大きくなるというのは明白なのですから、地域が違えど各エリアの風俗街は連帯責任にも近い状態で影響し合っていると言えます。そのため、県をまたいでの風俗店の一斉摘発はやむをえないのです。
というわけで、西川口の裏風俗は、「風俗の浄化」という時代の大きな流れに飲み込まれたのです。

【裏風俗の違法性】そもそもNK流風俗は違法!

そもそも風俗における本番行為は違法です。女性に金銭を渡して本番行為をするわけですから、言ってみれば「売春」なのです。「売春」は日本で許されるわけがありませんから、遅かれ早かれ、NK流風俗は無くなる運命にあったと言わざるを得ません。
こうして、NK流ピンサロで栄華を極めた「西川口の裏風俗」は、2004年の「歌舞伎町浄化作戦」に端を発して、さらに2005年の風営法の大幅改正によって、時代に幕を閉じることになったのです。

【西川口のNK流ピンサロの現在】西川口風俗の栄枯盛衰物語

西川口は、風俗によって経済的に豊かになるという恩恵を受けた一方で、その後、風俗における不健全なイメージに長らく苦しむこととなります。つまり、西川口は風俗によって栄枯盛衰の歴史をたどることとなったわけです。

【現在のNK流風俗と西川口風俗】NK流風俗が姿を消したあとの西川口風俗

現在の西川口風俗には、栄華を極めたNK流風俗の姿はなく、もちろんNK流の本サロ店の姿もありません。つまり「NK流風俗は絶滅した」と言っていいでしょう。現在の西川口エリアでは、ちゃんと営業許可を取った健全な風俗店が営業しているのみです。風俗街の規模が非常に小さくなった西川口は、今では埼玉県内における風俗街としての地位を大宮に譲っています。
現在の西川口の風俗の傾向としては、法律上新規出店が店舗型風俗店は少なく、デリヘルの店舗数が増えていることが挙げられます。また、西川口は、NK流ピンサロが流行する前にソープランド(トルコ風呂)が栄えていたこともあり、その名残りとして、今も西川口エリアには十数店舗のソープランド店が営業を頑張っています。
ちなみに現在の西川口の飲食店街は、中華料理のお店が多くなっており、(横浜中華街の規模とは比べものにはなりませんが)、小規模の中華街としての側面を持ちつつあります。

【風俗店と街の関係性から見る繁栄と衰退】風俗の活気と不健全さは表裏一体だ

例えば、ソープランド街がある吉原は、風俗店を中心に地域経済がしっかりと回っていきます。ソープランド店で働く女の子や男性従業員は、店舗まで電車やタクシーを使って出勤しますから、交通を生業としている業界は潤います。客も電車やタクシーを使って風俗店に来店しますから、同様に地域の交通業界にお金を落とします。風俗店は周りの飲食店に出前を頼むことが多いですから、地域の飲食店も潤います。客は、風俗帰りに飲食店で食事をすることが多いですから、同様に飲食店にお金を落とします。つまり、風俗街がある地域は、人が集まる分、経済が回るというメリットがあるわけです。そして、風俗街の規模が大きくなればなるほど街全体が繁栄して、地域全体が活性化されるのです。

しかしながら、風俗は不健全なイメージが強いからこそ、風俗がある地域でたびたび風俗の浄化作戦が行われます。当然、風俗店を一層することで街は健全になるでしょうが、街からかつての活気が消え、商店街の衰退に繋がることが多々あります。西川口エリアも例外ではありません。
かつて西川口がNK流として最盛期を迎えていた頃、確かにそこに人(風俗客)は多く集まりました。そして、経済的に西川口の街全体が活性化しました。しかし、2004年の大規模な警察の摘発によって、街の経済を回す中心的な役割であった風俗店のほとんどが姿を消しました。結果的に、西川口の商店街は、かつての活気を失うこととなり、その後、衰退の一途をたどることとなります。

しかしながら、西川口エリアは、不健全の烙印を押された風俗店が大幅に少なくなったわけですから、「健全さ・安心・安全」を取り戻したはずです。ならば、風俗業を中心としない新たな街づくりによって、今は西川口の街が活気を取り戻していてもおかしくはありませんが、残念ながら、今の西川口エリアは十分に活気を取り戻したとは到底言えないようです。なぜならば、NK流風俗として全国的に知られた街となった西川口は、「性風俗の街」として強いイメージがついてしまい、そのイメージを払拭することが非常に困難だからです。一度付いてしまった「性風俗の街」としての面影や雰囲気は、風俗店を一掃したところで、街のいたるところにその痕跡を見ることができますから、多くの人が西川口に対して不健全なイメージを(実際に不健全でなかったとしても)まだまだ抱いてしまうのです。

つまり、西川口エリアは、全国的に有名な「風俗街」として繁栄することと引き換えに、住民が普通に暮らすという「生活環境」を失うことになってしまったのです。西川口は居住地としての安心・安全な地域としてのイメージを失い、いまだにそのイメージを回復できていないのが現状です。実際に、現在においても西川口の商店街の売り上げや駅の利用者の数は減少の一途をたどっています。ですから、現在の西川口商店街の方たちは、なんとか街に活気を取り戻そうと、試行錯誤しながら努力しているのです。


≪あとがき≫
ピンサロやヘルスなど、あらゆる風俗店で本番行為が日常茶飯事で行われていた、西川口の「NK流」は、今となっては作り話しにも近いおとぎの話のようです。しかしながら、実際に「NK流」は存在していたわけで、今となっては、私たち男どもはその存在に想いを馳せるしかありません。
とはいえ、風俗での本番行為は完全に違法行為ですから、風俗ユーザーの皆様は、(事件や危険な目から)自身を守るためにも、くれぐれも今の時代では裏風俗店に関わらないようにしておきましょうね!

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