北区赤羽本サロと北関東三大本サロ!本サロの歴史を解説

9月1日更新
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北区赤羽本サロと北関東三大本サロ!本サロの歴史を解説

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「本サロ」とは、かつてあった「本番ができるピンサロ」のことです。もちろん、風俗での本番行為は売春防止法で抵触しますから完全なる違法です。しかしながら、本サロは、1990年代後半~2000年代前半まで、全国のいたるところにあり、最も店舗数が多い地域では、200店舗以上もの本サロ店が密集していました。「安い料金で気軽に本番ができる」ことから、非常に人気を博しました。ですが、2004年以降に全国的に起こった「違法風俗店の浄化作戦」により、ほとんどの本サロ店が姿を消したとされています。今では、本サロ店は皆無に等しいと言っていいでしょう。(大々的に本サロプレイができることを宣伝している違法風俗店は0だということです。隠れてこそこそ営業している本サロ店が、少しばかりあるかもしれないことは否定いたしません。)

本サロは当時、裏風俗として栄華を極めたわけですが、その人気をけん引したのが、関東に存在していた本サロ街です。東京ならば「北区赤羽エリア」、関東ならば「北関東三大本サロ街」として有名だった、「埼玉県熊谷エリア」・「群馬県館林エリア」・「栃木県小山エリア」です。今では、これら4つの本サロエリアは、すでに警察の摘発によって壊滅している、と言われています。(現在、関東に本サロ店はほぼないと言えます。)

今思えば、安い料金で本番行為ができる「本サロ」は男の夢だった、と言っていいでしょう。(違法ですが…)というわけで今回は、かつて存在した男の夢の楽園「本サロ」について、関東エリアを焦点に当てて解説していきます。
(※ちなみに、今回ご紹介する4エリア以外に、NK流で全国的に有名になった「埼玉県西川口」も、当時の本サロブームを盛り上げた立役者であります。今回、「埼玉県西川口」の本サロについては、ここでは取り上げていませんが、【伝説の本サロ「NK流ピンサロ」とは?】西川口裏風俗の栄枯盛衰物語 の記事で詳しく解説しておりますので、ぜひともご参考ください!)

 【東京都北区赤羽の本サロとは】都内に存在した独特のオーラを放つピンサロ街

かつて、東京都北区赤羽にも、「AK流」と呼ばれる本サロ店が多数ありました。当時の赤羽の繁華街は、今以上にどこか独特な雰囲気があり、治安が悪いイメージもありました。
赤羽の本サロ街が発展していった背景には、JRや地下鉄などいくつもの路線が集まっていて人が多く集まるエリアだったことが挙げられます。
赤羽エリアは、本サロで有名なエリア(西川口や熊谷)がいくつもあった埼玉と隣接しているため、東京と埼玉で相互に影響し合いながら、1990年代後半~2000年代前半の「本サロブーム」をけん引したと言っていいでしょう。

【赤羽本サロの歴史】結果的に隣の「西川口本サロ」に吸収されたAK流ピンサロ

赤羽エリアは、全国的な本サロブームに乗っかって、2000年代前半頃まで順調に店舗数を増やしていました。しかしながらその後は、赤羽本サロは都内ということもあり、他県よりもまず先に大規模な摘発に遭うことになります。摘発に遭った赤羽の本サロ店は、一斉に隣の西川口エリアに大移動します。結果的に、「NK流」と言われた西川口の本サロ街は、赤羽エリアにあった店舗を吸収する形で、さらに大規模な本サロエリアとなり全国にその名を轟かせるようになります。つまり、「赤羽本サロ」は近隣の埼玉の裏風俗に色濃く影響を与えたわけです。
残念ながら、2005年頃にはほぼすべての赤羽本サロ店が消滅したことで、赤羽本サロの歴史は幕を閉じることになります。(しかしながら、一説によれば赤羽には2015年頃まで、本サロ店がいくつかあったという話もあります。もしかしたら、法の網をかいくぐりながら、表向きは健全なピンサロ店に見せて本番のサービスを提供していたのかもしれません。)

【赤羽本サロの現在】「嘘かまことか」今でも本サロ店は実在するという噂あり!?

現在、赤羽のピンサロ店には、学園系ピンサロ店が3店舗あります。ピンサロ店の店舗数は少数ですが、まだまだ赤羽ピンサロの炎は消えていません。とは言え、現在の赤羽風俗の主流は、やはりデリヘルですので、そのことに時代の流れを感じざるを得ません。かつて、赤羽に本サロ店が多くひしめきあったとは思えないほど、今の赤羽風俗は健全です。赤羽ピンサロのサービス内容は濃厚プレイが売りのようで、たとえ本番がなくとも、十分に男性客が満足できると好評です。

とは言え!なんとネットでは、赤羽のピンサロでは「本番ができた!」という情報を意外と多く目にします。(同時に、現在ある赤羽のピンサロ店では本番行為は絶対的にできない、という話も多々あります。)ネットにある話によれば、本番ができるのはお店に在籍する一部の女性であり、男性客と女性の間で本番の交渉をして、本番有りの料金を上乗せすることで、ピンサロ店での本番が可能とのことです。風俗総合サイトに掲載されているピンサロ店であっても、女の子によって本番ができる、という話まであるから驚きです。(通常、風俗総合サイトに掲載されている風俗店は、健全な営業をしている店舗だけを選別しているはずなのですが…)
また、風俗総合検索サイトに掲載されていない赤羽のピンサロ店で本番ができた、という話もあります。(この話は、無料相談所の人に聞いたとのことで信憑性がまだ高いと言えます。)ただし、風俗総合検索サイトに掲載されていないピンサロ店は、女性の容姿において、年齢が高かったり容姿レベルが低かったりと少々地雷的な要素があるそうです。
もしかしたら、「無料相談所の人に教えてもらった本番ができるお店」で、かつ、「風俗総合検索サイトに掲載されていないお店」ならば、リアルな本サロ店の可能性はあるかもしれません。(※しかしながら、本サロのように風俗店で本番行為をする場合は、完全なる違法行為ですから、本サロ店の利用はあくまでもおススメしません!)

【埼玉県熊谷の本サロとは】「KY流」として栄えた本サロエリア

埼玉と言えば、「NK流」で全国的人気を誇った、「埼玉県西川口」の本サロが有名でした。その西川口エリアに次いで本サロ街として有名だったのが「埼玉県熊谷」です。ちなみに、「埼玉県熊谷」の本サロは「KY流」と呼ばれていました。熊谷の本サロ店は、星川通りという通りに密集していて本サロ街を形成していました。熊谷本サロのプレイ料金の相場は、40分13,000円だったそうです。

知名度としては、「埼玉県熊谷」の本サロより「埼玉県西川口」の本サロの方が高かったようです。理由としては、「埼玉県西川口」の方が東京に近くて、本サロ街の規模が大きかったことがあるでしょう。そして、もう一つ理由があります。それは、「埼玉県熊谷」には、当時、本番ができる箱ヘル(店舗型ヘルス)がたくさんあったことです。つまり、当時の熊谷における裏風俗のメインは、「裏箱ヘル」だったわけです。ですから、熊谷の裏風俗は、「裏箱ヘル」の方が「本サロ」より人気が高かったか、もしくは、「裏箱ヘル」と「本サロ」で人気を二分してしまい、「熊谷本サロ」の知名度が全国的に有名にならなかったのかもしれません。

【熊谷本サロの歴史】結果的に隣の「西川口本サロ」を吸収したKY流ピンサロ

かつて熊谷の風俗街には、店舗型風俗店が充実しており、箱ヘル(ファッションヘルス)やピンサロが数多く存在していました。このように店舗型風俗店がひしめき合う状況下で他店と差をつけるために、安い料金で本番ができる、KY流の「熊谷本サロ」が生まれました。

このKY流「熊谷本サロ」の規模がさらに大きくなる一件がありました。先に、埼玉県内で最も人気を誇った本サロエリアは、NK流の「西川口エリア」であると説明いたしましたが、2004年の大規模な摘発により、西川口のNK流本サロは壊滅してしまいます。そのため、この「西川口」の本サロ店が、一斉に熊谷エリアに大移動してきたのです。結果的に、熊谷エリアの本サロ街は一時的に規模が大きくなるのですが、西川口エリアと同様に間もなく摘発に遭い、KY流本サロも消滅することになりました。
風俗においてよくある流れなのですが、あるエリアの風俗街が大規模な摘発に遭うと、摘発店舗が近場の風俗街に移動してきて、移動先の風俗街エリアの規模が一気に膨れ上がるんですね。で、移動先の風俗街エリアがより大規模になって目立ったもんだから、今度はその風俗街エリアが摘発に遭うわけです。風俗の歴史は、このパターンの繰り返しが実に多いのです。

【熊谷本サロの現在】悲しいかな、ピンサロ文化が途絶えた熊谷

現在は、残念ながら熊谷市にピンサロ店は1軒もありません。つまり、現在の熊谷には、本サロ店は存在しないどころか、健全営業のピンサロ店さえないという状況です。そもそも、現在の熊谷風俗のメインはデリヘルであり、かつて本番ができることで人気を博した箱ヘルさえ今はないようです。この現状は、熊谷が土地柄的に店舗型風俗店を出店しにくいことが関係しており、ついで、街の健全化の流れが進んでいった結果だと言えるでしょう。

店舗型風俗店が消えたとは言え、、今でもかつて栄えた「本サロ街」としての痕跡を、熊谷駅周辺で見ることができます。まだまだ、当時活躍していた本サロ店の建物が残っていますので(とは言え、さびれた廃墟と化していますが…)、その痕跡を訪ねながら商店街を散歩するのも風情があっていいかもしれません。

【群馬県館林の本サロとは】ソープランド店がない群馬県で花開いた本サロ文化

1990年代末~2000年代前半の本サロブームにより、群馬県にも数多くの裏風俗店が軒を並べていました。
実は、かつて群馬県には「館林」以外に「伊勢崎」・「太田」・「桐生」の4エリアで、本番ができる裏風俗街が存在していたのです。4つのエリア全てには、本サロ店が何店舗かあり、特に「伊勢崎」には「本番ありのイメクラ店」が一部存在していたようです。(伊勢崎の「本番ありのイメクラ店」は、地元では「一発屋」と呼ばれるそうです。)
群馬にて本番ができる裏風俗が複数のエリアで発展した背景には、条例によってソープランドの営業が禁止されており、「群馬県にはソープランド店が一切ない」という事情があります。ソープランドがない分、本番ができる風俗店の需要が高まり、群馬県は複数のエリアで裏風俗店が増えていったのだと推測できます。
ピークであった2000年前後の群馬県の本サロは、全盛期の西川口の本サロ街と見劣りしないほど栄えていたそうです。なかでも「群馬県館林」の本サロ街は、「北関東三大本サロ街」として有名でした。

【館林本サロの歴史】群馬の本サロ客は栃木に大移動することに!

館林本サロが栄華を極めたのは、他の地域と同様に、1990年代後半~2000年代前半のことです。
しかしながら、館林も含めて群馬県内の全ての本サロ街は、全国的に相次いだ「違法風俗店の浄化作戦」によって、2005年に壊滅することになりました。そして、群馬県内の本サロ街が壊滅したことによって、隣の「栃木県小山」の本サロ街に客が集まるようになり、小山本サロエリアが有名になっていきました。
ちなみに、2005年の大規模な摘発後、かつて本サロ店として営業していた店の一部は、ガールズバーやスナックに業態を変えて、うち何軒かの店舗は女の子をこっそり連れ出して本番行為を行うことができるという話もあるそうです。

【館林本サロの現在】1店舗だけが館林ピンサロの文化を守り続ける!

かつて多くの本サロ店がにぎわった館林エリアには、現在、ピンサロ店が1店舗だけあるようです。「ハーレムビート」という有名ピンサロ店で、当然本サロ店ではなく、健全な営業をしている普通のピンサロ店です。さらに、デリヘルを館林に呼ぶとしても、近隣の他エリアからの出張となりますので、館林エリアにあるすべての風俗店を見ても、「ハーレムビート」しかないようです。つまり、現在の館林の風俗は、健全営業のピンサロ店1店舗しかないという、言わば「風俗不毛地帯」と化しています。

【栃木県小山の本サロとは】名物「フェラ指名」で人気を博した小山本サロ

栃木県の風俗と言えば、やはり県庁所在地で北関東最大の都市である宇都宮市が有名です。ですが、かつて栃木県第二の都市である「小山市」において、本サロ街が非常に賑わっていた時があります。小山市は首都圏からも交通のアクセスがよく、多くの東京在住者も小山の本サロ街を訪れていました。ピーク時(他エリアと同様に、1990年代後半~2000年代前半)には、小山の本サロ店は20店舗以上軒を並べていました。栃木の本サロ店は、表向きは普通のピンサロ店として営業していましたが、だいたい40分10,000円で本番ができたそうです。

特筆すべきは、小山の本サロは、他エリアと比べて独自の文化が育っていったことです。名付けて、小山名物「フェラ指名」です。プレイ冒頭から2~3人の女性が代わる代わるやってきて、各女性がそれぞれフェラを数分~5分ほど男性客に行います。その後、男性客は、フェラをしてくれた2~3人の女性から本番をしたい女性を選びます。これが俗に言う小山名物の「フェラ指名」です。おそらく、この「フェラ指名」は、東京都赤羽や埼玉県熊谷・西川口など、いくつもの本サロ街が関東に存在していましたから、他のエリアの本サロ店と差別化するために、小山エリアの中だけで独自に進化したシステムだったのでしょう。確かに、1万円で複数の女性とのフェラを楽しめて、その中からお気に入りの女性を選んで本番ができるなんて、小山本サロは非常にコスパがいいと言えますから、そりゃあかなり人気があったことでしょう。

【小山本サロの歴史】2018年まで1店舗が守り続けた小山本サロ文化の「フェラ指名」

小山の本サロ店は、「フェラ指名」という小山独自のシステムのおかげで、関東全域でその名を轟かせます。最盛期には、20店舗以上もの本サロ店がしのぎを削りました。小山本サロの勢いは止まることなく、小山エリアにあった数店舗のソープランドを駆逐するほどでした。しかしながら、小山本サロも、他エリアと同様に、全国的に行われた「違法風俗店浄化作戦」の波が押し寄せて、2005年頃に多くの本サロ店が消えることとなります。

【小山本サロの最後の名店】「セクシービーム」とは?

とは言え、2005年以降も老舗の名店が、小山本サロの文化をずっと守り続けていました。その名も「セクシービーム」です。「セクシービーム」は、大きな駐車場を完備した「ドライブイン風のスタイル」が特徴の本サロ店です。当然、本サロ店ではありませんから、「本番禁止」といった張り紙はなく、裏風俗ならではの貼り紙(「ゴム必着」・「ナマ禁止」・「真珠禁止」など)がしてあったそうです。当然、「セクシービーム」も小山名物の「フェラ指名」のシステムを採用していました。
しかしながら、小山本サロの完全消滅は突然やってきました。2018年に、セクシービームの経営者が逮捕されたのです。こうして、小山本サロの歴史は、セクシービームの摘発を最後に完全に幕を閉じることになったのです。(同時に、「フェラ指名」の本サロ文化も消え失せることになりました。)ちなみに、セクシービームは他の街での再建計画があったらしいのですが、その計画は叶うことのない夢物語に終わってしまいました。

【小山本サロの現在】もしかしたら「小山本サロ」は今も生きているかもしれない!?

現在の小山エリアの風俗の主役は、完全にデリヘルです。ピンサロに関しては、2店舗前後が現在小山エリアで営業しているそうです。当然、現在の小山エリアには本サロ店が一件もない…と思いきや、もしかしたら本サロ店が存在しているかもしれない、という情報があります。一見、普通のピンサロ店のようだが、そこのお店の看板には「Sコース10,000円」という表記があり、もしかしたらそのSコースが本サロのコースではないか…、という情報です。こればっかりは、実際にその店に行って、Sコースを体験してみないと何とも言えません。とは言え、今の時代でも、小山エリアに本サロ店があるかもしれない、なんてとっても夢のあることではありませんか!もしかしたら、平成に一世を風靡した「小山本サロ」の文化は、令和になった今でも脈々と受け継がれているかもしれない、というわけですね。(行っておきますが本サロ店は違法風俗店です。小山にて本サロ店を思わしき店舗を利用する際は、あくまでもご自身の責任でお願い致します。お店を利用中に警察のガサ入れが入る可能性もあることをお忘れなく!)

≪最後に≫
1990年代後半~2000年代前半に起きた「本サロブーム」は、東京の本サロエリア(主に北区赤羽)と、関東の本サロエリア(今回ご紹介した埼玉県熊谷・群馬県館林・栃木県小山と埼玉県西川口)がけん引して人気を盛り上げ、本サロの名を全国的に轟かせました。しかしながら、これら東京と関東の本サロ街が本サロブームを盛り上げた反面、これらの本サロ街の消滅が本サロブームを終わらせたのも事実です。
今は「デリヘル一強時代」です。店舗型風俗店は年々減少傾向にあります。風営法を改正のたびに厳しくなり、もはや今の時代は店舗型風俗店を新規に開店することはほぼ不可能だと言われています。私たちは、当時の本サロのような、新たな時代の店舗型風俗店に今後出会うことはあるのでしょうか・・・?可能性は非常に薄いかもしれませんが、過去の本サロ文化を懐かしむ一方で、新たな時代の店舗型風俗店に想いを馳せるということで、今回は締めくくらせて頂きます。

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