「ピンクサロン」、通称「ピンサロ」は料金が安くて手軽に遊ぶことの出来る風俗業種です。そして、「ピンサロ」の歴史は数ある風俗業種の中でも非常に古く、「ピンサロ」の発祥は1950年と言われています。さらに「ピンサロ」は風俗店という認識が広く広まっているものの、実際には「飲食店」という位置づけであり、ファッションヘルスやソープランドなどの他風俗業種とは違う特徴を持っています。「ピンサロ」は、なぜにこれほどまでに他風俗業種とあらゆる点で異なり、特殊な業態として長い歴史を歩んできたのでしょうか。そこで今回は、「ピンサロ」の歴史に焦点を当てて解説していきたいと思います。
【「ピンサロ」の誕生】「ピンサロ」は「ピンクキャバレー」から始まった
「ピンサロ」が飲食店として位置づけられ、他風俗業種と一線を画す理由は、ピンサロの発祥に理由がありました。「ピンサロ」の歴史を紐解けば、今の「ピンサロ」の特殊性を理解できます。
【「ピンサロ」の前身】「ピンサロ」は「キャバレー」という接待業種から始まった
「ピンサロ」の歴史の説明に入る前に、「トルコ風呂」の歴史について少しだけ解説をしておきましょう。「ピンサロ」が誕生した頃と同時期の1950年代に、「トルコ風呂」という現在のソープランドの前身となる風俗業種が誕生しています。関東圏(銀座の「東京温泉」がトルコ風呂のサービスを始めたと言われている)にて生まれた「トルコ風呂」は、瞬く間に全国に広がり一世を風靡しました。そもそも「トルコ風呂」は、公衆浴場にて女性垢すり師が男性客に行う「垢すりサービス」に「性的サービス」がくっついて誕生したのであります。ここで、「トルコ風呂」が[接客サービスと性的サービスの融合]によって生まれたことを理解しておいてください。実は、「ピンサロ」も[接客サービスと性的サービスの融合]によって生まれた風俗業種なのであります。
「ピンサロ」の前身となった業種は、おさわり専門の業態である「ピンク「キャバレー」」や「ネグリジェサロン」です。「キャバレー」(またはネグリジェサロン)とは、ホステスが男性客をソファーでお酒を飲みながら会話をするという、いわゆる接待業種(今で言うクラブやキャバクラ)でした。つまり、「ピンサロ」は「キャバレー」という接待サービスと性的サービス(主にフェラチオ)が融合して誕生したというわけです。
【キャバレーとは?】戦後を彩ったエンターテイメント性高き社交場
「キャバレー」とは、ホステスが客をもてなす飲食店であり、その歴史は戦後直後にまで遡ります。第二次世界大戦によって日本は敗戦国となり、日本の都市は焦土と化しました。しかし、そのような状況下において日本では新しいサービス業種が生まれました。それが「キャバレー」なのです。
第二次世界大戦後、日本を占領していた進駐軍向けの「キャバレー」が数多く生まれました。進駐軍とはアメリカやイギリスなどの欧米から来ている将校や兵士達のことです。荒廃した日本の中で、進駐軍はお金を落としてくれる格好のお客さんでした。このような進駐軍の人たちを楽しませる施設として「キャバレー」が誕生しました。戦後直後の様子を描いたテレビドラマなどで、華やかな服装の日本女性が米兵と付き合うような描写が多々ありますが、それこそ進駐軍の米兵と「キャバレー」で働いていた日本女性です。
「キャバレー」では、女の子が客に接客サービスをします。しかし、「キャバレー」はキャバクラとは少しだけ違います。キャバクラは、お酒を提供して女の子が客を接待しますが、「キャバレー」のサービスはそれだけではありません。「キャバレー」では女の子が客を接待する一方で、ステージではダンサーや歌手によるショーが開催されていました。客も女の子に会いに来るというだけでなく、お店の雰囲気やショーを楽しみに来るという感じだったようです。当時、大型の「キャバレー」が次々に生まれ、そこでは連日コメディーショーや音楽演奏が繰り広げられていました。つまり、「キャバレー」とは「女性によるエンターテイメント」という側面を持っていたわけです。そして、「キャバレー」の店舗が乱立するようになると、当然のことながらサービス競争が激化していき、「ピンクキャバレー」という新たなジャンルが誕生することになったのです。
【ピンクキャバレーの台頭】性的サービスの色を強めたキャバレー店
いわゆるエンターテイメントを主軸としていた一般的な「キャバレー」に対して、性的サービスの色を強めたピンク系のキャバレー(ピンクキャバレー)が台頭してきます。ピンク系とは、接客についている女の子の体に触っても大丈夫という「おさわり」を解禁したものです。1960年ごろになると、ピンク系の「キャバレー」(ピンクキャバレーやネグリジェサロン)といった業態のお店が進出してきました。ピンク系キャバレーのお店は、ショーなどを提供する正統派の「キャバレー」に対抗して、性的サービスを強めることで集客力を高めようとしました。
【ピンサロの誕生】ピンクキャバレーからの進化
そして、性的サービスを強めた「ピンクキャバレー」から新たなサービスを展開する業種が生まれました。それが「ピンサロ」です。女の子への「おさわり」のサービスを中心に展開していた「ピンクキャバレー」の一部が、女性が男性客を攻めるサービス、つまりは「フェラチオ」のサービスを取り入れることによって、「ピンサロ」を確立したのであります。「ピンサロ」の発祥は古く1950年と言われています。大阪のミナミにあったアルバイトサロン(アルサロ)と呼ばれる店が、「ピンサロ」の始祖であったと言われています。
つまり、『「ピンサロ」の前身は?』という問いに対しては、「ピンクキャバレー」という答えが正解となる、ってわけですね。
冒頭にて、「ピンサロ」は「飲食店」という位置づけであると申し上げましたが、「ピンサロ」はもともと「ピンクキャバレー」から始まったことを考えると、「「ピンサロ」が飲食店である」という位置づけは多くの人が納得できることでしょう。なぜならば、そもそも「ピンクキャバレー」は「飲食店」ですから、「ピンクキャバレー」の一種である「ピンサロ」も当然のことながら「飲食店」なのであります。
「ピンサロ」が飲食店と位置付けられていることは、「ピンサロ」を規制する法律においても明確化されています。「ピンサロ」は風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(風俗営業法)の接待飲食業営業1号、もしくは2号か、深夜における酒類提供飲食店営業の届け出を行っています。つまり、「ピンサロ」は他の風俗店と違って「風俗関連特殊営業」ではないのです。
「ピンサロ」が「風俗関連特殊営業」に該当しないことは、出店条件にも大きく影響を及ぼします。「飲食店」である「ピンサロ」は、店舗型ヘルスやソープランドなどの店舗型風俗店と違って、出店条件が異なることをご存じでしょうか?繁華街で営業している「ピンサロ」を見かけることも多いですよね。一方で、店舗型ヘルスやソープランドは、繁華街から離れた一部のエリアにてお店が集中する状態で存在することが多いです。というのも、店舗型ヘルスやソープランドなどの店舗型風俗店が出店できないエリアであっても、飲食店である「ピンサロ」は出店することができるからです。つまり、「ピンサロ」が他風俗業種と異なる点が多々あるのは、そもそも「ピンサロ」が「ピンクキャバレー」として始まったことが大きく関係しているからなのです。
【ピンサロの全盛期】ピンサロの全国的大流行~本サロ・違法店へ
そういうわけで「ピンサロ」は、ピンク「キャバレー」から派生する形で誕生しました。もともと「ピンクキャバレー」の中で最も過激だった性的サービスは、ハンドサービス(手コキ)でしたが、現在の「ピンサロ」のように「フェラチオ」も行うようになっていきました。そして、フェラチオを行う風俗業種として「ピンサロ」というジャンルで区別されました。現在、「ピンサロ」におけるフェラチオのサービスは、風俗業種の中でもライトなサービスとして認識されていますが、「ピンクキャバレー」のサービスを過激にしていった結果編み出されたサービスなんですね。
ここで、戦後の日本の風俗を取りまく環境に目を向けてみましょう。
戦後、「赤線・青線」という売春エリアが各地にたくさんできました。「赤線」とは政府が黙認していた売春エリアであり、「青線」は政府が非公認としていた売春エリアです。しかしながら、風紀を乱す恐れがあった売春は、1958年の「売春防止法」の施行を皮切りに完全に禁止されることとなりました。売春が禁止される中、後にソープランドとなる「トルコ風呂」は本番行為ができるということもあり、次第に人気を得ることとなります。とは言え、どんどんサービスが過激になっていく風俗店に対しても規制は強まっていきます。さらには、1964年の東京オリンピックの開催を控え、風紀の取り締まりがより厳しくなりました。この間もトルコ風呂は各地で出店を続け、風俗店は拡大し続けます。結果的に、東京オリンピックが閉幕した1966年に、新規店によるトルコ風呂新設にブレーキが掛けられることになります。「売春防止法」をきっかけに生まれた「トルコ風呂」は、規制を常に受ける立場にあったのです。
一方の「ピンサロ」は、「トルコ風呂」と違って主にフェラチオのみのサービスとなりますが、手軽な形態と安価な料金が受けて客が増え、客数に比例して女性も多くピンサロ店にて働くようになっていきました。1970年代頃になると、「ピンサロ」の店舗数が急増していきます。しかし、サービスがどんどん過激化していき、「本サロ」(本番行為ができるピンクサロン)と言われるピンサロ店が現れるようになりました。もちろん「本サロ」は違法に本番行為をする風俗ですから、「裏風俗」として括られます。当時の「本サロ」は、安価な料金(だいたい10,000円~15,000円程度)で本番行為ができると評判になり、多くの客を集めました。当時「本サロ」が有名だったエリアは、東京ならば「北区赤羽エリア」、埼玉県ならば「川口市西川口エリア」、関東ならば「北関東三大本サロ街」として有名だった、「埼玉県熊谷エリア」・「群馬県館林エリア」・「栃木県小山エリア」などが挙げられます。特に「川口市西川口エリア」の「本サロ」は、「NK流」とも言われ、全国的な人気を博しました。「本サロ」の人気はすさまじく、当時本番ができる風俗の代表格であった「ソープランド」から根こそぎ客を奪っていきました。つまり、1970年~1980年代に「ピンサロ」は最盛期を迎えたのであります。
※本サロについて詳しく知りたい方は、
・【本サロとは?】裏風俗の「本サロ」は利用してもいいの?それとも利用しない方がいい?
・【伝説の本サロ「NK流ピンサロ」とは?】西川口裏風俗の栄枯盛衰物語
・【北区赤羽本サロと北関東三大本サロ】本サロブームをけん引した4エリア
・【本サロが栄えた理由・本サロが消えた理由】本サロは今も存在するのか?
をご参考ください。
【ピンサロの衰退】時代の流れに飲み込まれていくピンサロ
「本サロ」に代表されるようなピンサロ過激化の動きに対して、1975年頃に警察が「ピンサロ」の摘発に乗り出すようになりました。「ピンサロ」はあくまでも風俗店ではなく「飲食店」ですから、店内で行われる性的サービスに対してお店が営業停止処分を受けることは珍しくありません。「ピンサロ」は飲食店として出店規制が緩い反面、他の風俗業種に比べると突然営業停止になるケースも多くなります。売春行為までするほどに過激化した「ピンサロ」を警察も黙ってみている訳にはいかなくなったというわけです。
この摘発増加の時期を境に、「ピンサロ」を利用する客は次第に少なくなっていきました。警察の摘発以外に、「ピンサロ」の集客が弱くなったもう一つの原因は、ぼったくりピンサロの横行でした。「ピンサロ」の過激化と同時に、ぼったくり「ピンサロ」が各地で問題となったのです。つまり、「ピンサロ」は人気が出過ぎたために、その人気に乗っかって商売をしようとする違法店や詐欺店によって、人気を奪われることとなったわけです。
※「ぼったくりピンサロ」について詳しく知りたい方は、
・【ぼったくり風俗に遭遇しないための予防策】ぼったくりピンサロってあるのかな?!
をご参考ください。
【ピンサロの盛り返し】時代の流れに乗って勢いづくピンサロ
過激化に対する摘発とぼったくり店の横行によって「ピンサロ」は衰退していきます。こうした状況を救ったのが「トルコ風呂(ソープランド)に対する規制強化」と「エイズ騒動」でした。
ここで話をいったん「ソープランド」に戻します。
1960年代以降、トルコ風呂は新規出店を抑える風営法改正にもかかわらず、店舗数は着実に増えていきました。こうした中で、1984年にヌスレット・サンジャクリというトルコ人留学生がトルコ風呂という名称の変更を厚生省に訴え出ました。これを受け、東京都特殊浴場協会が名称を公募し、トルコ風呂はソープランドと名称を変更することになります。
かつ、1985年に新しい風俗営業法が施行され、ソープランドは午後0時以降の営業が禁止になりました。ソープランド業界は大打撃を受けましたが、それに追い打ちをかけたのがエイズ騒動でした。
後天性免疫不全症候群、つまりエイズの感染が日本で確認されたのは、1985年のことでした。それから2年後の1987年に神戸で初めての日本人女性感染者が確認されました。それまではフィリピン人など、外国人だったのが、この年、初めて日本人女性がエイズに感染していることが分かった訳です。
この女性は異性間交渉によって感染したことが確認されていました。当時、エイズは同性間交渉でしか感染しないと言われていましたから、異性間交渉での感染が確認されたということで衝撃が走りました。最初に感染が報道された数日後には女性の死亡も伝えられ、パニックに拍車をかけることになります。この影響を最も受けたのがソープランドでした。この時の報道で、感染した女性は不特定多数の男性に売春をしていたと報じられました。後にこれは誤報であると判明しましたが、この報道はソープランドに打撃を与えました。この時、神戸・福原のソープランド街は売り上げが7、8割も落ち込んだとされています。当時のこのパニックを「神戸エイズパニック」と言います。
ソープランドの苦境とは打って変わって、「ピンサロ」は活況を呈していきました。「ピンサロ」は性交渉をするわけではなく、フェラチオなどの単純な性的なサービスを提供する業態であったため、ソープランドの利用を控える風俗客の受け皿となった訳です。こうして、衰退していた「ピンサロ」は徐々に息を吹き返していくこととなります。
このように、「ソープランド」と「ピンサロ」は、本サロが横行した時代から考えて、風俗の業態は違えど、遠くもなく近くもない感じで互いに影響を与え合っていることが分かりますね。
【ピンサロの近年~現在】ピンサロが生き残る力と消滅の危険性
1970年代以降、新たな業態の風俗店が続々と誕生しました。ファッションヘルスやノーパン喫茶やテレフォンクラブなどです。2000年代に入ると無店舗型のデリバリーヘルスが大きな勢力を持つようになりました。このような新世代の風俗は、古株として残り続けていた「ピンサロ」の集客力を弱めていきました。とはいえ、「ピンサロ」はかつてほどの勢いは失ったものの、その後もしぶとく生き残っていくことになります。では、なぜ「ピンサロ」は、他の集客力ある風俗業種に負けることなく、今の今まで生き残ることができているのでしょうか?
【ピンサロが時代に負けないワケ】人々はなぜピンサロを求めるのか?
「ピンサロ」がどんな逆境があろうともいまだに生き残っているのは、「ピンサロ」が唯一無二の風俗業種であり、「ピンサロ」は熱心なユーザーたちに強く支持されているからです。
料金の安い「ピンサロ」は、客が利用するには敷居が低い業種と言ってもいいでしょう。また「ピンサロ」は他の風俗業種と違って繁華街でも出店が可能であり、ユーザーのアクセスの都合が非常にいいケースが多いです。つまり、「ピンサロ」はその利便性から、いわゆる「風俗コンビニ」と表現できるわけです。この「ピンサロ」の利便性は、他の風俗業種では絶対に真似ができません。
さらには、「ピンサロ」で働きたい女の子においても、「ピンサロ」には特別な需要があります。ハードな性的サービスをすることに遠慮がある女の子にとって、「フェラチオ」のサービスまでで済む「ピンサロ」は、心理的な障壁が低いと言えます。また、給料面においても「ピンサロ」は女の子に需要があります。他の風俗業種は基本的に完全歩合制であり、女の子が接客する客の数や時間によってその日の給料が決まります。ですが、ほとんどの「ピンサロ」は時給制でありますから、たとえ女の子が接客していない時間があってもちゃんと時給分のお金は支払われます。しっかりと手堅く稼ぎたい女の子にとって、「ピンサロ」はなくてはならない風俗業種なのです。ですから、ピンサロ店はいつの時代も比較的、働き手となる女の子を集めやすい立場にいるのです。
コスパと利便性を求める客も、働き手となる女の子もたくさん集める「ピンサロ」は、世の中の情勢がどれだけ逆境になろうが、人々に求められる以上、これからも生き残っていくのであります。
【ピンサロ全滅の危険!?】ピンサロの「建前」が揺らぐ時代が来てしまった!
「ピンサロ」がこれからも生き残っていくと偉そうに言った手前、非常に言いにくいのですが、ここ最近になって「ピンサロ」は生存を脅かされてしまうことがありました。そのきっかけとなったのが2021年に開催された「東京オリンピック2020」です。
2021年5月に、上野のピンサロ店「マジックバナナ」と巣鴨駅近くのピンサロ店「曙」が摘発されました。「マジックバナナ」の摘発では、経営者や店長と女性従業員と客が、7月の「曙」の摘発では女性経営者が公然わいせつ罪で逮捕されました。他の人に見える場所でわいせつ行為をしていたというのがその理由です。その摘発が驚かれたのは、「ピンサロ」店に対する公然わいせつ罪の適用は初めてのことだったからです。
「ピンサロ」は風俗営業法上の接待飲食営業店として営業許可を受けている場合がほとんどです。そのため、個室を設けることが出来ません。そのため、公然わいせつ罪に問われる可能性が常にあります。もちろん「ピンサロ」店側も、公然わいせつで摘発されないように様々な工夫をしていいます。例えば、ボックス席を迷路みたいな配置にしたり、店内の照明を暗くしたりなどです。こうした工夫によって、見えてない、つまり公然わいせつではないということにしているという訳です。
また、「ピンサロ」店のメインは飲食サービスであって、性的サービスではないという建前になっています。性的サービスは女の子と客の自由恋愛の結果ということです。
「ピンサロ」店では摘発を避けるための「建前」によって、これまで営業してきたわけですが、今回の摘発によってこの「建前」自体が揺らいでしまっているとも言えます。特に、公然わいせつ罪による逮捕は衝撃でした。ピンサロ店は個室が作れないから、公然わいせつにならないように工夫しているのに、それでも逮捕されてしまったからでもあります。
警察が今回、摘発に乗り出した背景には2021年に開催された「東京オリンピック」が影響していました。オリンピックによって、外国人観光客がたくさん来日するので、防犯や美観の観点から、風紀の取り締まりを強化したという訳です。新型コロナウイルスの感染拡大によって、外国人観光客は来日しなかったですが、風紀の取り締まり強化は行われました。
国際的なイベントに合わせて風紀の取り締まりが図られたのは、今回の東京オリンピックだけではありません。1964年の東京オリンピックの際には、風俗営業法の改正という形で規制が強化されました。その他、万博やサミットなど、国際的な注目を集めるイベントの際に風俗店の取り締まりを強化するというのは珍しいことではありません。また、これは日本だけでもありません。お隣の韓国でも、その他の国でも、国際イベント開催の際には風俗店が標的にされています。
また、上野のピンサロ店の摘発については、上野警察署の特別な意向も働いているそうです。上野警察署の署長は実は女性で、しかもその署長は風俗嫌いで有名とのこと。今回の摘発については、「東京オリンピック」も背景にありますが、さらには、警察署の特別な思いが少なからず働いているでしょう。
やはり、「ピンサロ」は「飲食店」でありながら性的サービスを提供しているという矛盾を常に抱えていますから、常に取り締まりの危険性を秘めているのです。ですから、「風紀を乱すものをなくすべき」と考える者たちの矛先が「ピンサロ」に向きやすいわけです。「ピンサロ」はこれからもこの矛盾を抱えながら、時代の流れや価値観と戦っていかないといけないのです。
ごくごく最近では、「デリバリーピンサロ」という業態を新たに見かけるようになりました。「デリバリーピンサロ」とは、名前の通り、女の子を派遣してピンサロプレイを客に提供するものです。もしかしたら、店舗型ピンサロは減少していき、今後は「デリバリーピンサロ」がさらに増加していくかもしれません。「デリバリーピンサロ」がピンサロの生き残りをかけた唯一の策となり得るかもしれません。
【まとめ】人々の需要が消えない限りピンサロはこれからも生き残るだろう!
ここまで「ピンサロ」の歴史を振り返ってきました。「ピンサロ」は古くは「ピンクキャバレー」の派生業種として誕生した業態だったんですね。「ピンサロ」は他の風俗店と違い、「飲食店」という建前の下で営業しているお店ですから、手軽に楽しめる半面、常に摘発の危険性をはらんでいるという、特殊な風俗業種でもあります。
「ピンサロ」はかつて幾度となく消滅の危機を迎えましたが、その度に乗り越えてきました。デリヘルなどの新しい風俗業種が誕生しても、「ピンサロ」はしぶとく生き残り続けました。おそらくは今後も「ピンサロ」を脅かす事態は幾度となく迎えることでしょう。ですが、人々が「ピンサロ」を求める以上、「ピンサロ」は生き残っていくのであります!だから、私たちはピンサロを利用するのです。